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シズオカサンバカーニバル2011、 浜松カップ「フェスタ・サンバ2011」 [Samba演奏]
毎度ながら数ヶ月放置しており申し訳ございません。
昨年10,11月と比較的大きなイベント2つに出させて頂きました。
右手の故障(TFCC損傷)で長時間の演奏は非常に辛かったのですが、Cavaco は代えが利かないパートですのでなんとか弾き続けました。
さて、昨年は中止となった浅草サンバカーニバルも今年は再開予定(の筈)ですが、右手の故障で Caixa が叩けない状態... サウーヂの練習にも暫く出席出来ていません。
かくなる上は、左右のコンバートしか無いか。
利き腕でない方を利き腕に変える訳ですから、ゼロからのスタートというよりマイナスからのスタートになります。
死ぬほど練習しなくてはなりませんね。
昨年10,11月と比較的大きなイベント2つに出させて頂きました。
右手の故障(TFCC損傷)で長時間の演奏は非常に辛かったのですが、Cavaco は代えが利かないパートですのでなんとか弾き続けました。
さて、昨年は中止となった浅草サンバカーニバルも今年は再開予定(の筈)ですが、右手の故障で Caixa が叩けない状態... サウーヂの練習にも暫く出席出来ていません。
かくなる上は、左右のコンバートしか無いか。
利き腕でない方を利き腕に変える訳ですから、ゼロからのスタートというよりマイナスからのスタートになります。
死ぬほど練習しなくてはなりませんね。
サウーヂの東北被災地支援ツアー [Samba演奏]
#横浜のサンバチーム、サウーヂの会報「MNN」向けに原稿を書きましたので、加筆してここに載せさせて頂きます。
被災地の方々を笑顔にしたい、そんな思いを届けるべく東北支援ボランティアツアーを敢行しました。
初日10/22(土)は大崎市 震災復興支援「音楽の聞こえる都市(まち)づくり」コンサートで有備館前ユービック前広場のステージ、そしてスコーレハウスでの岩出山中学吹奏楽部との共演、翌10/23(日)は蔵王町 産業まつりのステージ、そして遠刈田温泉大通りパレードと、この有り得ない強行軍を物ともせず、我らがダンサー陣、バテリア&PA隊、スタッフは獅子奮迅でした。それもこれも、現地スタッフの皆様より手厚いをサポートを頂けたおかげです。
その甲斐あって、老若男女問わず多くの方々に喜んで頂けました。サンバだからこそ出来る役目、それを果たすことが出来たと思います。
皆様本当にありがとうございました。
10/22はステージ等では裏方に回ったりしていたので、済みませんが実際のパフォーマンスについての報告は省かせて頂きます。せめて一枚だけ写真を。

10/23の映像:
■事の経緯
現地との直接の打ち合わせはM下さん、バスの手配はマッキーさんに進めて頂きましたので私は最初の橋渡し役に過ぎませんが、簡単に記させて頂きます。
震災直後は「何かしたい」と思いつつも自分には医療技術も重機を動かす資格もなく、何も出来ないことに無力感を感じるばかりでした。
そんな中、5月のゴールデンウィーク間際にネットで見つけたボランティアセンターに登録、宮城県の南三陸町 歌津地区で被災者支援ボランティア(撤去作業、漂着物の回収、写真の洗浄等)に参加させて頂きました。これを機に、歌津には有休や夏期休暇を使って何度か通うことになりました。
全国から集まった皆の意識は高く、よく働き、よく笑います。それを見て、思わず「まるでサウーヂやん!?」と感じました。しかも「うちのお父さん、去年サンバで優勝した!」という学生さんも居て、後で話を聞くと、昨年コミッサォンで参加されたMさんの娘さんでした(!)。何という偶然でしょう。
しかし活気のある現場とはいえ、海辺に目を向けると廃墟が広がり、言葉を失います。
そして夜のテントで、ふと聞こえてきたのは女性の嗚咽...
日中や夕食時は皆明るく振る舞っていたものの、身内や友人に何かあったり、被災地の惨状を目の当たりにしたら平気で居られる訳はありません。ボランティアのテントでさえこうなのに、況や避難所の夜を想うと、胸が締め付けられます。日中は皆、涙を堪えて気丈に過ごしているのか。
ふと頭に浮かんだのは、「ここでサンバが出来ないか?」ということでした。
とはいえ実際のところ、海辺では時々ご遺体(大腿骨や頭蓋骨)があがることもあり、現地の祭りの太鼓さえ叩くのが憚られる状況でした。
歌津ではまだまだ時期尚早かと諦めかけたとき、歌津VCの代表の方が、大崎市からボランティアで来られていたSさんにコンタクトを取って下さいました。
頂いたメールによると、大崎市は福島県・岩手県をふくめて宮城県沿岸部から避難した177名の小中学生が大崎市に一時的に避難して勉強していて、このような生徒たちを勇気づけたいというのが先生方の願いでした。
そして大崎市教育委員会のHさんより、改めて正式にサンバの依頼を受けました。
もはや迷うことはない、サウーヂは必要とされている。
マッキーさんに相談したところ、ちょうどM下さんが宮城県多賀城市に出張中(!)で、大崎市に行って直接打ち合わせをして頂けることになりました。
度重なる偶然… 神懸かり的とでも申しましょうか、まるで何かに導かれるように話が進んでいきました。
ツアー参加者も全て自腹なのでちゃんと集まるか不安でしたが、最終的には貸し切りバスがほぼ満席になり、都合でバスに乗れない方々は自力で現地に集合して下さいました。まったく頭が下がる思いでした。
■被災地でサンバをやるということ
「そんなことをして何になる?」 「ただの自己満足じゃないか」
撤去作業や漂着物の回収等は目に見える成果がありましたが、サンバをやったところで衣食住の何の足しにもなりません。
自分からやろうと言い出しておきながらも、葛藤の中にありました。
そんなとき、石巻市で打ち上げ花火をやる話を耳にしました。
「不謹慎だ」「それどころじゃない」「でも花火が観たい」
賛否両論の中で、打ち上げ花火を決行した方々の想いを自分なりに考えてみました。
助かったものの、言葉で表せない悲惨な光景や沢山のご遺体を目の当たりにした人達。
明日が見えず呆然自失の日々、そして蘇る記憶。
そんな中でも、気丈に振る舞う子供達。
医者もカウンセラーも特効薬を持たない。
しかし花火が打上げられ、弾ける瞬間。恐らく誰しも、その光と音に心を奪われるに違いありません。
どんなに短くても、それは無駄な時間ではないと思います。
サンバは、それに近いひと時を与えることが出来るのではないか。
役に立つ、役に立たないではなく、その瞬間をどう感じてもらえるか。
ほんの一瞬でも目の前の光景と音に心を任せ、あの日の惨状、そして辛い日常を忘れられたら、それで充分ではないか。
サウーヂに出来ることは、やはりサンバしかありません。
自分達が出来ることをやろう。サウーヂらしいパフォーマンスをやろう。
そう思えるようになりました。
現地では沢山の方々に喜んで頂けました。むしろ、その笑顔に私達が力を貰ったと言っても言い過ぎでは無いほどでした。
■果たすべきことがある
TVや新聞、ネットではなく、実際に現地での活動で惨状を目の当たりにして心に湧き上る想いとは。
繁栄は仮初め(かりそめ)で、自然を前にしたとき文明はあまりにも脆いです。
時には残酷な仕打ちを容赦なく浴びせて来ます。
人間は経験したことしか判りません。
それでも、被災された方々のあの日、今まで、そしてこれから、どんな思いで生きているのか、そのことを時々思い出したり、考えたりします。
答えは見つかりません。ただ、当たり前のことなんて無いということ、一瞬一瞬を大事にしなくてはならないということ、先に逝った方々はそのことを私達に考えさせてくれます。
…長くなるのでこの辺にさせて頂きます。
今回の東北支援ツアーはほぼ手探り状態だったかも知れませんが、今後も活動を続けていく上で大事な一歩だったと思います。
これからも被災地のために出来ることを、一個人そしてサウーヂの一人として考え、実行していきたいです。
改めて、今回ご参加ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございました。
出来ることは僅かですが、それでも、音楽、ダンス、そして笑顔がもたらす力を信じています。

22日の晩、遠刈田にて。パゴーヂに興じるサウーヂの面々。
今回のツアーの成功は、イカした仲間達のおかげです。 本当にありがとう。
被災地の方々を笑顔にしたい、そんな思いを届けるべく東北支援ボランティアツアーを敢行しました。
初日10/22(土)は大崎市 震災復興支援「音楽の聞こえる都市(まち)づくり」コンサートで有備館前ユービック前広場のステージ、そしてスコーレハウスでの岩出山中学吹奏楽部との共演、翌10/23(日)は蔵王町 産業まつりのステージ、そして遠刈田温泉大通りパレードと、この有り得ない強行軍を物ともせず、我らがダンサー陣、バテリア&PA隊、スタッフは獅子奮迅でした。それもこれも、現地スタッフの皆様より手厚いをサポートを頂けたおかげです。
その甲斐あって、老若男女問わず多くの方々に喜んで頂けました。サンバだからこそ出来る役目、それを果たすことが出来たと思います。
皆様本当にありがとうございました。
10/22はステージ等では裏方に回ったりしていたので、済みませんが実際のパフォーマンスについての報告は省かせて頂きます。せめて一枚だけ写真を。
10/23の映像:
■事の経緯
現地との直接の打ち合わせはM下さん、バスの手配はマッキーさんに進めて頂きましたので私は最初の橋渡し役に過ぎませんが、簡単に記させて頂きます。
震災直後は「何かしたい」と思いつつも自分には医療技術も重機を動かす資格もなく、何も出来ないことに無力感を感じるばかりでした。
そんな中、5月のゴールデンウィーク間際にネットで見つけたボランティアセンターに登録、宮城県の南三陸町 歌津地区で被災者支援ボランティア(撤去作業、漂着物の回収、写真の洗浄等)に参加させて頂きました。これを機に、歌津には有休や夏期休暇を使って何度か通うことになりました。
全国から集まった皆の意識は高く、よく働き、よく笑います。それを見て、思わず「まるでサウーヂやん!?」と感じました。しかも「うちのお父さん、去年サンバで優勝した!」という学生さんも居て、後で話を聞くと、昨年コミッサォンで参加されたMさんの娘さんでした(!)。何という偶然でしょう。
しかし活気のある現場とはいえ、海辺に目を向けると廃墟が広がり、言葉を失います。
そして夜のテントで、ふと聞こえてきたのは女性の嗚咽...
日中や夕食時は皆明るく振る舞っていたものの、身内や友人に何かあったり、被災地の惨状を目の当たりにしたら平気で居られる訳はありません。ボランティアのテントでさえこうなのに、況や避難所の夜を想うと、胸が締め付けられます。日中は皆、涙を堪えて気丈に過ごしているのか。
ふと頭に浮かんだのは、「ここでサンバが出来ないか?」ということでした。
とはいえ実際のところ、海辺では時々ご遺体(大腿骨や頭蓋骨)があがることもあり、現地の祭りの太鼓さえ叩くのが憚られる状況でした。
歌津ではまだまだ時期尚早かと諦めかけたとき、歌津VCの代表の方が、大崎市からボランティアで来られていたSさんにコンタクトを取って下さいました。
頂いたメールによると、大崎市は福島県・岩手県をふくめて宮城県沿岸部から避難した177名の小中学生が大崎市に一時的に避難して勉強していて、このような生徒たちを勇気づけたいというのが先生方の願いでした。
そして大崎市教育委員会のHさんより、改めて正式にサンバの依頼を受けました。
もはや迷うことはない、サウーヂは必要とされている。
マッキーさんに相談したところ、ちょうどM下さんが宮城県多賀城市に出張中(!)で、大崎市に行って直接打ち合わせをして頂けることになりました。
度重なる偶然… 神懸かり的とでも申しましょうか、まるで何かに導かれるように話が進んでいきました。
ツアー参加者も全て自腹なのでちゃんと集まるか不安でしたが、最終的には貸し切りバスがほぼ満席になり、都合でバスに乗れない方々は自力で現地に集合して下さいました。まったく頭が下がる思いでした。
■被災地でサンバをやるということ
「そんなことをして何になる?」 「ただの自己満足じゃないか」
撤去作業や漂着物の回収等は目に見える成果がありましたが、サンバをやったところで衣食住の何の足しにもなりません。
自分からやろうと言い出しておきながらも、葛藤の中にありました。
そんなとき、石巻市で打ち上げ花火をやる話を耳にしました。
「不謹慎だ」「それどころじゃない」「でも花火が観たい」
賛否両論の中で、打ち上げ花火を決行した方々の想いを自分なりに考えてみました。
助かったものの、言葉で表せない悲惨な光景や沢山のご遺体を目の当たりにした人達。
明日が見えず呆然自失の日々、そして蘇る記憶。
そんな中でも、気丈に振る舞う子供達。
医者もカウンセラーも特効薬を持たない。
しかし花火が打上げられ、弾ける瞬間。恐らく誰しも、その光と音に心を奪われるに違いありません。
どんなに短くても、それは無駄な時間ではないと思います。
サンバは、それに近いひと時を与えることが出来るのではないか。
役に立つ、役に立たないではなく、その瞬間をどう感じてもらえるか。
ほんの一瞬でも目の前の光景と音に心を任せ、あの日の惨状、そして辛い日常を忘れられたら、それで充分ではないか。
サウーヂに出来ることは、やはりサンバしかありません。
自分達が出来ることをやろう。サウーヂらしいパフォーマンスをやろう。
そう思えるようになりました。
現地では沢山の方々に喜んで頂けました。むしろ、その笑顔に私達が力を貰ったと言っても言い過ぎでは無いほどでした。
■果たすべきことがある
TVや新聞、ネットではなく、実際に現地での活動で惨状を目の当たりにして心に湧き上る想いとは。
繁栄は仮初め(かりそめ)で、自然を前にしたとき文明はあまりにも脆いです。
時には残酷な仕打ちを容赦なく浴びせて来ます。
人間は経験したことしか判りません。
それでも、被災された方々のあの日、今まで、そしてこれから、どんな思いで生きているのか、そのことを時々思い出したり、考えたりします。
答えは見つかりません。ただ、当たり前のことなんて無いということ、一瞬一瞬を大事にしなくてはならないということ、先に逝った方々はそのことを私達に考えさせてくれます。
…長くなるのでこの辺にさせて頂きます。
今回の東北支援ツアーはほぼ手探り状態だったかも知れませんが、今後も活動を続けていく上で大事な一歩だったと思います。
これからも被災地のために出来ることを、一個人そしてサウーヂの一人として考え、実行していきたいです。
改めて、今回ご参加ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございました。
出来ることは僅かですが、それでも、音楽、ダンス、そして笑顔がもたらす力を信じています。
22日の晩、遠刈田にて。パゴーヂに興じるサウーヂの面々。
今回のツアーの成功は、イカした仲間達のおかげです。 本当にありがとう。
「みやこ秋まつり」(岩手県宮古市) [Samba演奏]
約半年振りの更新です。右手の故障でパソコン操作すら辛くなっております...
今回は東北復興支援ボランティア活動としてのサンバについてです。
9/17, 18 の二日間、岩手県宮古市の「みやこ秋まつり」に出演させて頂きました。
今回は北海道のサンバチーム「ウルソ・ダ・フロレスタ」さんの呼びかけで都内その他のエスコーラ(リベルダージ、アハスタォン、サウーヂ)からも有志が集まり、一緒にパフォーマンスをさせて頂きました。
スタッフ、参加者の皆様、ありがとうございました。
下記は二日目の9/18の映像で、10分くらいからサンバのパフォーマンスです。音質がよろしくないですが、雰囲気だけでも。
Video streaming by Ustream
この後、皆で海辺の被災地を訪れ、改めて心に刻むものがありました...
出来ることをしましょう。続けましょう。
今回は東北復興支援ボランティア活動としてのサンバについてです。
9/17, 18 の二日間、岩手県宮古市の「みやこ秋まつり」に出演させて頂きました。
今回は北海道のサンバチーム「ウルソ・ダ・フロレスタ」さんの呼びかけで都内その他のエスコーラ(リベルダージ、アハスタォン、サウーヂ)からも有志が集まり、一緒にパフォーマンスをさせて頂きました。
スタッフ、参加者の皆様、ありがとうございました。
下記は二日目の9/18の映像で、10分くらいからサンバのパフォーマンスです。音質がよろしくないですが、雰囲気だけでも。
Video streaming by Ustream
この後、皆で海辺の被災地を訪れ、改めて心に刻むものがありました...
出来ることをしましょう。続けましょう。
被災地へ 〜 傷だらけの東北 〜 [Life]
5/3 〜 5 の 3日間、被災地支援ボランティア活動のため宮城県へ行ってきました。
長文で恐れ入りますが、これから何か行動される方の参考になれば幸いです。
ゴールデンウイークとはいえ、被災された方々や、この瞬間にも命を削って原発事故と闘う方々を思うと、とても遊びに出かける気にはなれず、微力でも何か出来ないものかと考えました。
アポ無しで飛び込みだと迷惑をかける恐れがあるので、ネットで見つけた「RQ市民災害救援センター」 にボランティア支援希望で登録したところ、上記期間での参加要請をメールで受け、装備と食料を詰めたザックを背負って出かけました。
5/2(月)
新幹線は少し前に全線回復しており、浜松から東京、仙台までは順調でしたが、東北新幹線の車窓からは埼玉、福島、宮城と、徐々に瓦屋根を覆うブルーシートが多く見られるようになり、緊張感も高まります。
仙台駅前は所々で波打つ歩道や閉まったままの店舗もあり、傷跡は散見されたものの、活気を取り戻しつつあり少し安堵しました。駅舎にはボランティアの相談所もあり、受け入れ態勢を整えていました。杜の都というだけあって、美しい街並。
地元編集の「仙台学」という雑誌が至る所で売られており、文化水準の高さも伺えます。 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-176872-storytopic-6.html
『仙台学vol・11 東日本大震災』を購入し、駅前のホテルに前泊。
5/3(火)
6:30の高速バス(宮城交通)で仙台から登米市役所まで移動するも渋滞のため到着が遅れ、登米ボランティアセンター(以下VC)から2kmの飯土井まで乗る予定だったバスは既に出た後でした。2時間待つのも勿体ないので他の方とタクシーに相乗りし、9:30 登米VCのある旧増淵小学校に到着。
体育館は支援物資とボランティアのテントと荷物でいっぱいでした。全国から集まる支援、そしてここに集まった方々は皆、高い意識を持って参加されていることを感じました。
さらにここで山の匂いが引き合わせたのか、慶大ワンダーフォーゲル部出身の Tくんと知り合い、以後、行動を共にすることになりました。現在、東京大学大学院で地球外に生命体が存在することを証明するための物質の研究をされているそうで、頭脳明晰で行動力もある好青年です。
受付、ガイダンス、そしてトラックから廃材を降ろす作業を済ませた後、被災者の方々に音楽を届けるために来られた「トミー・ピアニカ’ズ・ドリーム」さんの演奏を聴かせて頂きました。
※映像は2008年のもので編成が異なります。
鍵盤ハーモニカ、フルート、ピアノ、カホンによる絶妙なアンサンブル。
リーダーの Tommy CHO さんは阪神淡路大震災で被災されたとき、東北の漁師さんが漁船で支援物資を積んで駆けつけて下さったおかげで助かったそうです。そのご恩返しのために被災地を訪れ、コンサートを行うと共に全国から集めた不要になった鍵盤ハーモニカを寄贈されています。
Tommyさんのブログ:http://tommycho.blog85.fc2.com/blog-entry-112.html
このあと、昼食。リゾットを頂きました。
着くなり音楽に食事と「貰うばかり」で些か戸惑っていると、被災現場により近いVCの一つである歌津VCへの参加募集が掛かり、即志願。時間があったので、千葉から来られた「なおさん」「ばくちゃん」の車に乗せて頂き、食料や装備の買い足しをして備えました。
いよいよ最前線です。歌津VCに向けて「へんべえさん」車で出発。和気藹々とした空気も、津波の傷跡が生々しい風景で一変。海岸から遠く離れた山奥まで押し寄せた津波の破壊力に、皆言葉を失います。

#3/29に地元の方がアップされた歌津地区の映像:
15:20着。
歌津VCは4/16に開設され、伊里前地区で元禄時代から400年以上受け継がれている自主防衛組織「結(ゆい)」と連携して支援活動を行っており、現在は国連より支援物資倉庫用に提供された白い巨大テントを拠点としています。
場所や作業内容から、ここを希望して来る方々の多くはアウトドアに覚えが有り、ライフラインが無い状況でも気持ちに余裕を持って過ごされているようです。
この日は私達は着いたばかりで大きな活動はしませんでしたが、昼間に活動した方々が回収した漂着物の仕分けを行いました。

写真、フィルム、アルバム、賞状からカルテまで、大事な品々を分類してビニールで包み、通し番号を記して自治体へお届けします。

食事は事前に申請しておくとご飯と汁物は頂けるのですが、持参したものとカップ麺(韓国からの支援物資。キムチ味でかなり辛いが、これでも一番マイルドな味らしい)で済ませました。やはり一番楽しいひと時です。
19時よりミーティング。事前に地元の方とVCの代表者と打ち合わせてニーズと支援をマッチングさせてあり、これに対して翌日の人員をアサインします。私は田表(たもて)地区に行く事になりました。
21:30消灯。ザコ寝で大人しく眠りにつくも、まるで山のように寒く、中には寝袋を借りて2重にする方もあり。私はダウンを着てダウンの寝袋で何とかしのげましたが、深夜に豪雨の音で目を覚まし、そのままぼんやりとしていました。
ふと、聞こえてきたのは女性の嗚咽...
日中や夕食時は皆明るく振る舞っていたものの、身内や友人に何かあったり、被災地の惨状を目の当たりにしたら平気で居られる訳はありません。ボランティアのテントでさえこうなのに、況や避難所の夜を想うと、胸が締め付けられます。日中は涙を堪えて、気丈に過ごしているのか。
...皆、傷付いている。
5/4(水)
6時起床、食事を済ませて7:30よりミーティング、

9:00に今日の作業現場の田表地区へ移動。民家、工場は流され、田畑や山の斜面に瓦礫や生活に関わるあらゆるものが散乱しています。私達は漂着物を集めると共に、重機の入れない山の斜面の薮に分け入って瓦礫やゴミを平地まで降ろしました。途中、マムシが出たり(血清を打たないと命を落とす)、家の一部であったと思しき釘の出た角材(別の地区で踏み抜き事故あり)が無数にあったりと、油断禁物です。

漁船の前にご夫婦で並んで記念撮影したと思われるスライド。持ち主がご無事で、そして思い出の品が届くことを願いつつ...


そして、ほぼ無傷で見つかった結婚記念のアルバム。
「これは何としてもお届けしなくては!」皆も大いに励みに感じている様子で、撤去作業にも力が入ります。尚、後で判明したのですがこのアルバムの持ち主は、なんとこちらのVC代表とやりとりをされている自警団の方、ご本人(!)でした。30年前の写真とのことで、大変照れくさがっていらしたそうです。

まったく奇跡のようです。
夕食時、とある方々から急な炊き出しの打診がありました。中学校での炊き出しの残りを持って来て下さったのです。
ただ、本来の食事を担当していたメンバーには、辛いことでした。善意とは判っていても、自分の精魂込めた仕事がないがしろにされたように感じる場面もある訳です。
今回のことは詳しくは書きませんが、炊き出しをする側、受け入れる側、それぞれの気持ちに波風が経ちかねない出来事でした。
尚、これは多くの避難所で似たような問題が起こっているそうで、どうか今後炊き出しをして下さる際には数日前に時間と量を打診して頂きたいところです。
5/5(木)
昨夜は結露で天井から水滴が大量に降り注ぎ、直撃を食らった方はかなり参っていました。
この日の午前の作業は伊里前保育所の斜面の瓦礫、ゴミの撤去、漂着物の回収です。
更に皆で力を合わせて倒れた柵をグランド側に引き上げたり、側溝をさらったりと、やることはいくらでもあります。

重機の入れない斜面は、人の手できれいになりました。平地は重機に任せます。
午後は山の神という地区へ。薮の斜面のゴミの撤去を行いました。薮に分け入って細かいゴミは土嚢袋に集め、更に木にひっかかった電柱(!)、衣類、漁船の旗等を降ろしたり、結構危険も伴う作業をしました。山の魂に火が点いたのか、登山やロッククライミング等の技術がある面々は大活躍でした。
この日は私も含め歌津VCを去るメンバーが多く、15時までに作業を切り上げ、VCに徒歩で帰りました。

歌津駅付近は今も尚、瓦礫がほぼそのままです。

気仙沼線、歌津駅。線路が寸断されている地域もあるので全線復旧までにはどれくらいかかるか判りませんが、いつの日か、旅行で訪れたいです。

去り際、総務のみやもさんと握手、そして責任者の十姫さんは仰いました。
「皆さん、帰ったら、ここでの事を広くお伝え下さい」
そして登米に戻る私達のバスに、残った方々は手を振って見送ってくれました。
被災地の為に何かしたい、そんな想いで駆けつけた人達。
本当に皆、イカした仲間達です。
仙台へ戻り、仲良くなったメンバー8人で牛タンを食べました。
今日中に浜松には帰れない私は仙台で一泊することにして、高速バスで帰るメンバーを見送りました。
5/6(木)
帰路につく前に、せっかくなので、松島へ。仙石線は東塩竈から代行バスですが、なんとか乗れました。
松島は水族館も再開しております。フェリーに乗って約1時間の周遊コースへ。曇り空でしたが、特徴的な島々の景色を堪能出来ました。
カモメって、こんなに船の近くまで来て飛ぶんですね。

今回感じた、「傷だらけの東北」。
しかし、ダウンを喫したものの、また立ち上がろうとするボクサーのよう。
その心意気に、むしろ私達が力を貰った気がします。
長い戦いはまだ始まったばかりです。
支援活動を続けましょう。それぞれのやり方で。一人の力は僅かですが、ゼロではありません。ゼロではない力が集まれば、それはやがて大きな力にも成り得ます。
ボランティアは長期の休暇でないとなかなか難しいですが、支援にはいろんな方法があります。これからも東北の農産物を食べ、旅行もして、東北に貢献しましょう!
帰りの新幹線から遠くの景色を眺めながら iPod を取り出す。
たまたま聴こえてきたのは、「人間の証明のテーマ」(ジョー山中)。
帰らざる時を想う...
自然と、涙が出てきました。
長文で恐れ入りますが、これから何か行動される方の参考になれば幸いです。
ゴールデンウイークとはいえ、被災された方々や、この瞬間にも命を削って原発事故と闘う方々を思うと、とても遊びに出かける気にはなれず、微力でも何か出来ないものかと考えました。
アポ無しで飛び込みだと迷惑をかける恐れがあるので、ネットで見つけた「RQ市民災害救援センター」 にボランティア支援希望で登録したところ、上記期間での参加要請をメールで受け、装備と食料を詰めたザックを背負って出かけました。
5/2(月)
新幹線は少し前に全線回復しており、浜松から東京、仙台までは順調でしたが、東北新幹線の車窓からは埼玉、福島、宮城と、徐々に瓦屋根を覆うブルーシートが多く見られるようになり、緊張感も高まります。
仙台駅前は所々で波打つ歩道や閉まったままの店舗もあり、傷跡は散見されたものの、活気を取り戻しつつあり少し安堵しました。駅舎にはボランティアの相談所もあり、受け入れ態勢を整えていました。杜の都というだけあって、美しい街並。
地元編集の「仙台学」という雑誌が至る所で売られており、文化水準の高さも伺えます。 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-176872-storytopic-6.html
『仙台学vol・11 東日本大震災』を購入し、駅前のホテルに前泊。
5/3(火)
6:30の高速バス(宮城交通)で仙台から登米市役所まで移動するも渋滞のため到着が遅れ、登米ボランティアセンター(以下VC)から2kmの飯土井まで乗る予定だったバスは既に出た後でした。2時間待つのも勿体ないので他の方とタクシーに相乗りし、9:30 登米VCのある旧増淵小学校に到着。
体育館は支援物資とボランティアのテントと荷物でいっぱいでした。全国から集まる支援、そしてここに集まった方々は皆、高い意識を持って参加されていることを感じました。
さらにここで山の匂いが引き合わせたのか、慶大ワンダーフォーゲル部出身の Tくんと知り合い、以後、行動を共にすることになりました。現在、東京大学大学院で地球外に生命体が存在することを証明するための物質の研究をされているそうで、頭脳明晰で行動力もある好青年です。
受付、ガイダンス、そしてトラックから廃材を降ろす作業を済ませた後、被災者の方々に音楽を届けるために来られた「トミー・ピアニカ’ズ・ドリーム」さんの演奏を聴かせて頂きました。
※映像は2008年のもので編成が異なります。
鍵盤ハーモニカ、フルート、ピアノ、カホンによる絶妙なアンサンブル。
リーダーの Tommy CHO さんは阪神淡路大震災で被災されたとき、東北の漁師さんが漁船で支援物資を積んで駆けつけて下さったおかげで助かったそうです。そのご恩返しのために被災地を訪れ、コンサートを行うと共に全国から集めた不要になった鍵盤ハーモニカを寄贈されています。
Tommyさんのブログ:http://tommycho.blog85.fc2.com/blog-entry-112.html
このあと、昼食。リゾットを頂きました。
着くなり音楽に食事と「貰うばかり」で些か戸惑っていると、被災現場により近いVCの一つである歌津VCへの参加募集が掛かり、即志願。時間があったので、千葉から来られた「なおさん」「ばくちゃん」の車に乗せて頂き、食料や装備の買い足しをして備えました。
いよいよ最前線です。歌津VCに向けて「へんべえさん」車で出発。和気藹々とした空気も、津波の傷跡が生々しい風景で一変。海岸から遠く離れた山奥まで押し寄せた津波の破壊力に、皆言葉を失います。

#3/29に地元の方がアップされた歌津地区の映像:
15:20着。
歌津VCは4/16に開設され、伊里前地区で元禄時代から400年以上受け継がれている自主防衛組織「結(ゆい)」と連携して支援活動を行っており、現在は国連より支援物資倉庫用に提供された白い巨大テントを拠点としています。
場所や作業内容から、ここを希望して来る方々の多くはアウトドアに覚えが有り、ライフラインが無い状況でも気持ちに余裕を持って過ごされているようです。
この日は私達は着いたばかりで大きな活動はしませんでしたが、昼間に活動した方々が回収した漂着物の仕分けを行いました。

写真、フィルム、アルバム、賞状からカルテまで、大事な品々を分類してビニールで包み、通し番号を記して自治体へお届けします。

食事は事前に申請しておくとご飯と汁物は頂けるのですが、持参したものとカップ麺(韓国からの支援物資。キムチ味でかなり辛いが、これでも一番マイルドな味らしい)で済ませました。やはり一番楽しいひと時です。
19時よりミーティング。事前に地元の方とVCの代表者と打ち合わせてニーズと支援をマッチングさせてあり、これに対して翌日の人員をアサインします。私は田表(たもて)地区に行く事になりました。
21:30消灯。ザコ寝で大人しく眠りにつくも、まるで山のように寒く、中には寝袋を借りて2重にする方もあり。私はダウンを着てダウンの寝袋で何とかしのげましたが、深夜に豪雨の音で目を覚まし、そのままぼんやりとしていました。
ふと、聞こえてきたのは女性の嗚咽...
日中や夕食時は皆明るく振る舞っていたものの、身内や友人に何かあったり、被災地の惨状を目の当たりにしたら平気で居られる訳はありません。ボランティアのテントでさえこうなのに、況や避難所の夜を想うと、胸が締め付けられます。日中は涙を堪えて、気丈に過ごしているのか。
...皆、傷付いている。
5/4(水)
6時起床、食事を済ませて7:30よりミーティング、

9:00に今日の作業現場の田表地区へ移動。民家、工場は流され、田畑や山の斜面に瓦礫や生活に関わるあらゆるものが散乱しています。私達は漂着物を集めると共に、重機の入れない山の斜面の薮に分け入って瓦礫やゴミを平地まで降ろしました。途中、マムシが出たり(血清を打たないと命を落とす)、家の一部であったと思しき釘の出た角材(別の地区で踏み抜き事故あり)が無数にあったりと、油断禁物です。

漁船の前にご夫婦で並んで記念撮影したと思われるスライド。持ち主がご無事で、そして思い出の品が届くことを願いつつ...


そして、ほぼ無傷で見つかった結婚記念のアルバム。
「これは何としてもお届けしなくては!」皆も大いに励みに感じている様子で、撤去作業にも力が入ります。尚、後で判明したのですがこのアルバムの持ち主は、なんとこちらのVC代表とやりとりをされている自警団の方、ご本人(!)でした。30年前の写真とのことで、大変照れくさがっていらしたそうです。

まったく奇跡のようです。
夕食時、とある方々から急な炊き出しの打診がありました。中学校での炊き出しの残りを持って来て下さったのです。
ただ、本来の食事を担当していたメンバーには、辛いことでした。善意とは判っていても、自分の精魂込めた仕事がないがしろにされたように感じる場面もある訳です。
今回のことは詳しくは書きませんが、炊き出しをする側、受け入れる側、それぞれの気持ちに波風が経ちかねない出来事でした。
尚、これは多くの避難所で似たような問題が起こっているそうで、どうか今後炊き出しをして下さる際には数日前に時間と量を打診して頂きたいところです。
5/5(木)
昨夜は結露で天井から水滴が大量に降り注ぎ、直撃を食らった方はかなり参っていました。
この日の午前の作業は伊里前保育所の斜面の瓦礫、ゴミの撤去、漂着物の回収です。
更に皆で力を合わせて倒れた柵をグランド側に引き上げたり、側溝をさらったりと、やることはいくらでもあります。

重機の入れない斜面は、人の手できれいになりました。平地は重機に任せます。
午後は山の神という地区へ。薮の斜面のゴミの撤去を行いました。薮に分け入って細かいゴミは土嚢袋に集め、更に木にひっかかった電柱(!)、衣類、漁船の旗等を降ろしたり、結構危険も伴う作業をしました。山の魂に火が点いたのか、登山やロッククライミング等の技術がある面々は大活躍でした。
この日は私も含め歌津VCを去るメンバーが多く、15時までに作業を切り上げ、VCに徒歩で帰りました。

歌津駅付近は今も尚、瓦礫がほぼそのままです。

気仙沼線、歌津駅。線路が寸断されている地域もあるので全線復旧までにはどれくらいかかるか判りませんが、いつの日か、旅行で訪れたいです。

去り際、総務のみやもさんと握手、そして責任者の十姫さんは仰いました。
「皆さん、帰ったら、ここでの事を広くお伝え下さい」
そして登米に戻る私達のバスに、残った方々は手を振って見送ってくれました。
被災地の為に何かしたい、そんな想いで駆けつけた人達。
本当に皆、イカした仲間達です。
仙台へ戻り、仲良くなったメンバー8人で牛タンを食べました。
今日中に浜松には帰れない私は仙台で一泊することにして、高速バスで帰るメンバーを見送りました。
5/6(木)
帰路につく前に、せっかくなので、松島へ。仙石線は東塩竈から代行バスですが、なんとか乗れました。
松島は水族館も再開しております。フェリーに乗って約1時間の周遊コースへ。曇り空でしたが、特徴的な島々の景色を堪能出来ました。
カモメって、こんなに船の近くまで来て飛ぶんですね。

今回感じた、「傷だらけの東北」。
しかし、ダウンを喫したものの、また立ち上がろうとするボクサーのよう。
その心意気に、むしろ私達が力を貰った気がします。
長い戦いはまだ始まったばかりです。
支援活動を続けましょう。それぞれのやり方で。一人の力は僅かですが、ゼロではありません。ゼロではない力が集まれば、それはやがて大きな力にも成り得ます。
ボランティアは長期の休暇でないとなかなか難しいですが、支援にはいろんな方法があります。これからも東北の農産物を食べ、旅行もして、東北に貢献しましょう!
帰りの新幹線から遠くの景色を眺めながら iPod を取り出す。
たまたま聴こえてきたのは、「人間の証明のテーマ」(ジョー山中)。
帰らざる時を想う...
自然と、涙が出てきました。
田中好子さんのこと [Tristeza não tem fim]
4/21、元キャンディーズで女優の田中好子さんが乳がんのため亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます。
映画、ドラマ、CM等でその笑顔が見られることを当たり前のように感じておりましたが、19年に及ぶ闘病生活を微塵も見せなかった気丈さには、言葉が出ません。
3月に録音したという最後の肉声がニュースで流れたとき、私は朝から涙を堪えることが出来ませんでした。話すことすら辛い状態でありながら、東日本大震災の被災者の方々を思い遣ったり、振り絞るように発せられるその言葉のひとつひとつが痛いほど伝わってくるのです。
俯いて目を閉じるご主人(亡き夏目雅子さんの実兄)の姿に、自分もまた止まった時間の中で生きているということを痛感します。
いろんなことが蘇るので、もうこれ以上は書けません。

映画、ドラマ、CM等でその笑顔が見られることを当たり前のように感じておりましたが、19年に及ぶ闘病生活を微塵も見せなかった気丈さには、言葉が出ません。
3月に録音したという最後の肉声がニュースで流れたとき、私は朝から涙を堪えることが出来ませんでした。話すことすら辛い状態でありながら、東日本大震災の被災者の方々を思い遣ったり、振り絞るように発せられるその言葉のひとつひとつが痛いほど伝わってくるのです。
俯いて目を閉じるご主人(亡き夏目雅子さんの実兄)の姿に、自分もまた止まった時間の中で生きているということを痛感します。
いろんなことが蘇るので、もうこれ以上は書けません。

脱原発への転機となるか [Life]
何をどう書いたらよいのか判らず、未整理且つ辛辣な書き方で済みません。
私だけではないと思いますが、3/11以来、被災地のことが頭から離れません。被災された方々、救援活動をされている方々、そして今この瞬間にも原発の危機に立ち向かわれている方々のことを思うと、何と言葉にすればよいのか判りません。何も出来ないことが歯がゆく、逆に被災された方々の「自分よりもっと厳しく辛い状況の方々が居る」という気丈な言葉に力を貰っている有様です。
戦後最大の国難ともいうべき状況を目の当たりにして、私達は誰一人として目を背けてはなりません。今回の尊い犠牲は取り戻せませんが、未来の為に変革すること、価値観を変える機会を与えられたと受け止めます。そう思わないと、まったくやりきれません。
直撃を免れた地域の者としては、日々働き税金を収め、浪費を控え、そして可能な範囲で義援金や物資を送るしかありません。そして、国全体の力を被災地へ注がなくてはならない現在、新たな被災地、被災者を出さないようにするにはどうすれば良いかを考える必要があります。
いつ起こるとも知れない巨大地震と津波による未曾有の天災。自然の力を前に人間の力は余りにも小さく、避けることは出来ませんが、被害を最小限にするためにはどうすればよいか。その大きな課題の一つが二次災害、人災を避けること、つまり原発事故を避けることです。完全に放射性物質をコントロールする科学力を持たない限り、最終的には脱原発しかありません。
昨年までの日常は、どうだったでしょう?
夏は40度に迫る日でも、カーディガンを羽織らないと過ごせないほど冷えたオフィス。
冬は氷点下の日でも、半袖でないと汗ばむような店舗。
深夜に煌々と輝くネオン街、数十メートル毎に乱立するコンビニエンスストアー。
こんなことはどう考えてもおかしい、と思いながら、そのままにして来ました。
まるで浪費が繁栄の証しであるかのように。
ともすれば、途方も無い代償を支払うことになると知りながら。
今回の事故で責められるべきは安全への配慮を怠った東京電力だけではありません。危険性に目を閉じてきた原発関連企業、そして国策として原発を推進してきた政府、そしてそれを許してきた私達国民です。
チェルノブイリの事故の翌年、発売中止の憂き目にあったタイマーズの Summer Time Blues、Love Me Tender の歌詞が、今更ながら重く響きます。
すまん、キヨシロー。あなたの警告を封じ込めようとしたこの国は、ついにこんなことになってしまった。
今年の夏は電力供給不足が決定的と言われていますが、
「原発が無くても暮らして行けるところまで生活水準が下がったとしても、安全が一番だ」
ということを示せるか否か、今、国民の意識が問われています。
浪費を控えるのは勿論ですが、特に夏は医療目的以外のクーラーは控えましょう。
昨年の夏は記録的猛暑と言われましたが、私は自宅のクーラーは一度も使わずに過ごしました。やせ我慢ではなく「クーラー無しでは過ごせないようにはなりたくない」「身体にもよくない」という理由だったのですが、ともあれ、やれないことではありません。

ふと、映画「ゴジラ」('54) のラストでの山根博士(志村喬)の台詞を思い出しました。
「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかも知れない」
福島第一原発の事故が例外だとは思えない。 もし、原子力発電が続けて行われるとしたら、 また世界のどこかで悲惨な事故が繰り返されるかも知れない。

敗戦後の焼け跡からの復興は、今のおじいちゃんおばあちゃん方が一生懸命頑張ったからです。私達は繁栄を享受しましたが、自分達ばかりかこれからの世代にまで被曝の危機に晒すことになってしまいました。ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸の悲劇を知っていながら、何故日本は原発を推進するのか、外国から見ると不思議でしょうがないでしょう。
こうなった以上、現地の方々には申し訳無いですが、こう言わざる得ないです。
ノーモア フクシマ。
脱原発が実現出来るか否かは、私達次第です。
私だけではないと思いますが、3/11以来、被災地のことが頭から離れません。被災された方々、救援活動をされている方々、そして今この瞬間にも原発の危機に立ち向かわれている方々のことを思うと、何と言葉にすればよいのか判りません。何も出来ないことが歯がゆく、逆に被災された方々の「自分よりもっと厳しく辛い状況の方々が居る」という気丈な言葉に力を貰っている有様です。
戦後最大の国難ともいうべき状況を目の当たりにして、私達は誰一人として目を背けてはなりません。今回の尊い犠牲は取り戻せませんが、未来の為に変革すること、価値観を変える機会を与えられたと受け止めます。そう思わないと、まったくやりきれません。
直撃を免れた地域の者としては、日々働き税金を収め、浪費を控え、そして可能な範囲で義援金や物資を送るしかありません。そして、国全体の力を被災地へ注がなくてはならない現在、新たな被災地、被災者を出さないようにするにはどうすれば良いかを考える必要があります。
いつ起こるとも知れない巨大地震と津波による未曾有の天災。自然の力を前に人間の力は余りにも小さく、避けることは出来ませんが、被害を最小限にするためにはどうすればよいか。その大きな課題の一つが二次災害、人災を避けること、つまり原発事故を避けることです。完全に放射性物質をコントロールする科学力を持たない限り、最終的には脱原発しかありません。
昨年までの日常は、どうだったでしょう?
夏は40度に迫る日でも、カーディガンを羽織らないと過ごせないほど冷えたオフィス。
冬は氷点下の日でも、半袖でないと汗ばむような店舗。
深夜に煌々と輝くネオン街、数十メートル毎に乱立するコンビニエンスストアー。
こんなことはどう考えてもおかしい、と思いながら、そのままにして来ました。
まるで浪費が繁栄の証しであるかのように。
ともすれば、途方も無い代償を支払うことになると知りながら。
今回の事故で責められるべきは安全への配慮を怠った東京電力だけではありません。危険性に目を閉じてきた原発関連企業、そして国策として原発を推進してきた政府、そしてそれを許してきた私達国民です。
チェルノブイリの事故の翌年、発売中止の憂き目にあったタイマーズの Summer Time Blues、Love Me Tender の歌詞が、今更ながら重く響きます。
すまん、キヨシロー。あなたの警告を封じ込めようとしたこの国は、ついにこんなことになってしまった。
今年の夏は電力供給不足が決定的と言われていますが、
「原発が無くても暮らして行けるところまで生活水準が下がったとしても、安全が一番だ」
ということを示せるか否か、今、国民の意識が問われています。
浪費を控えるのは勿論ですが、特に夏は医療目的以外のクーラーは控えましょう。
昨年の夏は記録的猛暑と言われましたが、私は自宅のクーラーは一度も使わずに過ごしました。やせ我慢ではなく「クーラー無しでは過ごせないようにはなりたくない」「身体にもよくない」という理由だったのですが、ともあれ、やれないことではありません。

ふと、映画「ゴジラ」('54) のラストでの山根博士(志村喬)の台詞を思い出しました。
「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかも知れない」
福島第一原発の事故が例外だとは思えない。 もし、原子力発電が続けて行われるとしたら、 また世界のどこかで悲惨な事故が繰り返されるかも知れない。

敗戦後の焼け跡からの復興は、今のおじいちゃんおばあちゃん方が一生懸命頑張ったからです。私達は繁栄を享受しましたが、自分達ばかりかこれからの世代にまで被曝の危機に晒すことになってしまいました。ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸の悲劇を知っていながら、何故日本は原発を推進するのか、外国から見ると不思議でしょうがないでしょう。
こうなった以上、現地の方々には申し訳無いですが、こう言わざる得ないです。
ノーモア フクシマ。
脱原発が実現出来るか否かは、私達次第です。
2/27 第7回浜松シティマラソン [Run Like Hell]
今年も浜松シティマラソンに出場しました。
あまりの混みように「なんでこねんようけ人が居てんねん?!(関西弁で「どうしてこんなにたくさん人が居るのか」の意)」と、自分もエントリーしておきながらも、つい呟いてしまいました。ともあれ、競技人口が増えるのは良いことです。

種目は 3km、5km、10km、10マイル(約16km)といくつかあり、特に 3km は女子中学生・小学生・65歳以上の部となっていて、下の写真のような感じです。

殆ど小学生。まことに壮観。 でも、
恐らく体育の授業の一環で、半ば強制的に参加させられているのでは?
と、勘ぐってしまいましたが、まぁ 3km だからたいしたことは無いでしょうね。
私は昨年同様、10マイルでエントリー。通勤ランの片道より2kmほど長い程度ですが、大会慣れが目的です。
腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん)も完治していない上に、このところ体調すぐれず週イチペースを心がけていた通勤ランも2週間休んでしまいましたので、今日は無理せず、ほどほどでキープ。最後にちょっと欲を出して飛ばしましたが、昨年より4分ほど遅くゴールイン。総合順位は 1590人中ほぼ真ん中らへんでした。
昨年、途中で抜いた会社の先輩には今回は追いつけず。
フルマラソンを完走する体力にはまだまだ戻っていないことを痛感。もっと走らなくては...
で、
済んだあと、「湯風景しおり」という、いわゆるスーパー銭湯へ行ってきました。
予想通り、ランナーが押し寄せて混みまくりでしたが、結構広くて露天もあり、いろんなお湯を楽しめました。効能とかをながめつつ「ふーん」てな感じで、上がったあと、ついでにそこで食事もしたのですが、
汗が止まらない...![[あせあせ(飛び散る汗)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/162.gif)
勿論、走った云々ではなく、温泉の効果です。
只これが半端ではなく、あまりの暑さに、
駅前をブラついたり本屋に寄ったりする間も
ずっと半袖で過ごしたのです。
一時の極寒期を過ぎたとはいえ、街行く人は皆当然ながら冬の装い。
おまけに家族連れの会社の人に遭ったりと...
ちょっと変わった人に見えたかも知れません。^^;
マラソンどころか、「温泉がこんなに効く!」ということに
素朴な驚きを隠しきれない日曜日でした。
出場された方、そして大会関係者の方々、お疲れさまでした! また来年。
浜松シティマラソン公式web
http://www.hamamatsu-city-marathon.com/outline/index.html
あまりの混みように「なんでこねんようけ人が居てんねん?!(関西弁で「どうしてこんなにたくさん人が居るのか」の意)」と、自分もエントリーしておきながらも、つい呟いてしまいました。ともあれ、競技人口が増えるのは良いことです。

種目は 3km、5km、10km、10マイル(約16km)といくつかあり、特に 3km は女子中学生・小学生・65歳以上の部となっていて、下の写真のような感じです。

殆ど小学生。まことに壮観。 でも、
恐らく体育の授業の一環で、半ば強制的に参加させられているのでは?
と、勘ぐってしまいましたが、まぁ 3km だからたいしたことは無いでしょうね。
私は昨年同様、10マイルでエントリー。通勤ランの片道より2kmほど長い程度ですが、大会慣れが目的です。
腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん)も完治していない上に、このところ体調すぐれず週イチペースを心がけていた通勤ランも2週間休んでしまいましたので、今日は無理せず、ほどほどでキープ。最後にちょっと欲を出して飛ばしましたが、昨年より4分ほど遅くゴールイン。総合順位は 1590人中ほぼ真ん中らへんでした。
昨年、途中で抜いた会社の先輩には今回は追いつけず。
フルマラソンを完走する体力にはまだまだ戻っていないことを痛感。もっと走らなくては...
で、
済んだあと、「湯風景しおり」という、いわゆるスーパー銭湯へ行ってきました。
予想通り、ランナーが押し寄せて混みまくりでしたが、結構広くて露天もあり、いろんなお湯を楽しめました。効能とかをながめつつ「ふーん」てな感じで、上がったあと、ついでにそこで食事もしたのですが、
汗が止まらない...
勿論、走った云々ではなく、温泉の効果です。
只これが半端ではなく、あまりの暑さに、
駅前をブラついたり本屋に寄ったりする間も
ずっと半袖で過ごしたのです。
一時の極寒期を過ぎたとはいえ、街行く人は皆当然ながら冬の装い。
おまけに家族連れの会社の人に遭ったりと...
ちょっと変わった人に見えたかも知れません。^^;
マラソンどころか、「温泉がこんなに効く!」ということに
素朴な驚きを隠しきれない日曜日でした。
出場された方、そして大会関係者の方々、お疲れさまでした! また来年。
浜松シティマラソン公式web
http://www.hamamatsu-city-marathon.com/outline/index.html
1/23 Banda Verde(リベルダージ New Year Party 2011) [Samba演奏]
ご無沙汰しております。
約半年も更新が滞っているので、生きているやら死んでいるやらという感じでしたが、どっこい生きております(ど根性ガエル風)。^^;
たまには更新しなさいというお叱りを各方面より頂き、重い腰を上げました。
で、例によってサンバ演奏です。
2011年1月23日に開催されたリベルダージ New Year Party 2011に Banda Verde(バンダヴェルヂ:サウーヂ、リベルダーヂ、アハスタォン etc. の混成メンバーによるバンド)の Cavaco奏者として出演させて頂きました。下記の中の 5:04 〜 7:55 で、曲は Aquarela Brasileira です。
リベルダージさんの New Year Party では毎度お世話になっております。
今回も楽しく演奏出来ました。
皆も笑顔。良い顔してます。
これからもよろしくお願い申し上げます。
G.R.E.S. Liberdade(リベルダージ):http://www.gres-liberdade.com/
BLOCO Arrastão(アハスタォン):http://arrastao.com/
G.R.E.S.Saúde(サウーヂ):http://gressaude.com/rj/
約半年も更新が滞っているので、生きているやら死んでいるやらという感じでしたが、どっこい生きております(ど根性ガエル風)。^^;
たまには更新しなさいというお叱りを各方面より頂き、重い腰を上げました。
で、例によってサンバ演奏です。
2011年1月23日に開催されたリベルダージ New Year Party 2011に Banda Verde(バンダヴェルヂ:サウーヂ、リベルダーヂ、アハスタォン etc. の混成メンバーによるバンド)の Cavaco奏者として出演させて頂きました。下記の中の 5:04 〜 7:55 で、曲は Aquarela Brasileira です。
リベルダージさんの New Year Party では毎度お世話になっております。
今回も楽しく演奏出来ました。
皆も笑顔。良い顔してます。
これからもよろしくお願い申し上げます。
G.R.E.S. Liberdade(リベルダージ):http://www.gres-liberdade.com/
BLOCO Arrastão(アハスタォン):http://arrastao.com/
G.R.E.S.Saúde(サウーヂ):http://gressaude.com/rj/
8/28(土)サウーヂ、浅草サンバカーニバル初優勝! [Samba演奏]
今年も浅草サンバカーニバルに Saude (エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ)のバテリアとして出場してきました。浅草サンバカーニバル自体は第30回、サウーヂとしては創設25周年ということもあって、大きな節目でもあります。
8/27(金)は有休をとって浅草寺境内裏でアレゴリア作業等を行いました。
炎天下、汗が滝のように流れ出て水分補給が欠かせません。
ただ、何ヶ月もかけて準備してきただけでなく年々計画性の向上もあって、その場で新たにものを作るということはあまり無く、非常に順調に進みました。
今年のテーマは「愛」。形が無いものだけに難しいのですが、ストーリー性を持たせて、且つ視覚的にも判り易く表現するために様々な工夫を凝らしたパレードを目指しました。さて吉と出るか否か。

作業終了後、作業メンバーの最年少であるRさんの16回目の誕生日でしたので、皆でケーキを買ってお祝いしました。うちは親子で参加されている方々が多く、チームの雰囲気を明るくしてくれます。

さて当日の8/28(土)、例によってバテリア(パート:Caixa)として出場していたのでパレード中の写真はございません。
私はといえば、昨年は前日にぎっくり腰になるというアクシデントがありました。今年は冬から春にかけて走り込んでいたのでそういった心配はなく、また自宅では冷房を使わず過ごしてきたので暑さにも或る程度の順応性を備えておりました。
猛暑ではありますが、出場が最後から2番目ということもあって日陰ではそこそこ過ごせる状態。給水係もペットボトルを持って走り回って奮闘、パワーを維持してパレードを行うことが出来ました。ただ、個人的には大いに課題の残る演奏で、フォームやスティックコントロールを再度考え直す必要があると痛感しました。
さて終了後、再び浅草寺境内裏で解体作業も済ませ、控え室に戻って皆とだべったりしていると、メールで審査結果の知らせが。
サウーヂ優勝!
??? へ? 嘘?
それって、モバイル投票の「モバイル賞」とか、そんなんでしょ?
皆、半信半疑。
その後、「ほんとだよ!」という念押しのメールが。
いや、信じられん。ここは一つ、表彰式に行ったメンバーが帰って来るのを待とう。
そして、、、、 満面の笑みだったり、号泣しているメンバーが帰って来たのです。
創設25年目にして、初優勝。
勝ち慣れてないので、どう喜んで良いのか、ただただ戸惑うばかり。
嬉しさより不思議さが上回る奇妙な感覚。
思えば私が初参加した2002年は準優勝(!)でした。
あのときも、嬉しさより驚きが先に来てしまいましたが、いろんな面で、
何となくあの年と似た点があったかも知れません。
沢山の新人さんの活躍とか、皆のモチベーションとか。
未だになにかこそばゆい感覚。 …後が続きません。 ^^;
ただ、下記に載せてある審査結果の通り、総合点やテーマの表現、衣装では1位ではありますが、躍動感、演奏、ダンスについては1位ではありません。優勝に奢ることなく、更なる課題に向き合って、やるべきことをやっていかなくてはなりません。
http://gressaude.com/rj/modules/blog/details.php?bid=339
ともあれ、サウーヂの拠点、桜木町・野毛へ戻り、打ち上げ。

これが優勝の表彰状。ホンモノです。
精魂こめた作品が評価されなかったり、せっかくの衣装が集中豪雨に打たれたり、PAがとんで歌が聴こえなくなったり、悔し涙に暮れたこともあったでしょう。ついに、それらが報われる時が来たのです。
皆様お疲れさまでした!!!
Saude :
http://gressaude.com/rj/
8/27(金)は有休をとって浅草寺境内裏でアレゴリア作業等を行いました。
炎天下、汗が滝のように流れ出て水分補給が欠かせません。
ただ、何ヶ月もかけて準備してきただけでなく年々計画性の向上もあって、その場で新たにものを作るということはあまり無く、非常に順調に進みました。
今年のテーマは「愛」。形が無いものだけに難しいのですが、ストーリー性を持たせて、且つ視覚的にも判り易く表現するために様々な工夫を凝らしたパレードを目指しました。さて吉と出るか否か。

作業終了後、作業メンバーの最年少であるRさんの16回目の誕生日でしたので、皆でケーキを買ってお祝いしました。うちは親子で参加されている方々が多く、チームの雰囲気を明るくしてくれます。

さて当日の8/28(土)、例によってバテリア(パート:Caixa)として出場していたのでパレード中の写真はございません。
私はといえば、昨年は前日にぎっくり腰になるというアクシデントがありました。今年は冬から春にかけて走り込んでいたのでそういった心配はなく、また自宅では冷房を使わず過ごしてきたので暑さにも或る程度の順応性を備えておりました。
猛暑ではありますが、出場が最後から2番目ということもあって日陰ではそこそこ過ごせる状態。給水係もペットボトルを持って走り回って奮闘、パワーを維持してパレードを行うことが出来ました。ただ、個人的には大いに課題の残る演奏で、フォームやスティックコントロールを再度考え直す必要があると痛感しました。
さて終了後、再び浅草寺境内裏で解体作業も済ませ、控え室に戻って皆とだべったりしていると、メールで審査結果の知らせが。
サウーヂ優勝!
??? へ? 嘘?
それって、モバイル投票の「モバイル賞」とか、そんなんでしょ?
皆、半信半疑。
その後、「ほんとだよ!」という念押しのメールが。
いや、信じられん。ここは一つ、表彰式に行ったメンバーが帰って来るのを待とう。
そして、、、、 満面の笑みだったり、号泣しているメンバーが帰って来たのです。
創設25年目にして、初優勝。
勝ち慣れてないので、どう喜んで良いのか、ただただ戸惑うばかり。
嬉しさより不思議さが上回る奇妙な感覚。
思えば私が初参加した2002年は準優勝(!)でした。
あのときも、嬉しさより驚きが先に来てしまいましたが、いろんな面で、
何となくあの年と似た点があったかも知れません。
沢山の新人さんの活躍とか、皆のモチベーションとか。
未だになにかこそばゆい感覚。 …後が続きません。 ^^;
ただ、下記に載せてある審査結果の通り、総合点やテーマの表現、衣装では1位ではありますが、躍動感、演奏、ダンスについては1位ではありません。優勝に奢ることなく、更なる課題に向き合って、やるべきことをやっていかなくてはなりません。
http://gressaude.com/rj/modules/blog/details.php?bid=339
ともあれ、サウーヂの拠点、桜木町・野毛へ戻り、打ち上げ。

これが優勝の表彰状。ホンモノです。
精魂こめた作品が評価されなかったり、せっかくの衣装が集中豪雨に打たれたり、PAがとんで歌が聴こえなくなったり、悔し涙に暮れたこともあったでしょう。ついに、それらが報われる時が来たのです。
皆様お疲れさまでした!!!
Saude :
http://gressaude.com/rj/
海洋地形学の物語 (Tales From Topographic Oceans) / Yes [Progressive Rock]
数ヶ月間放置しており、申し訳ございません。
夏によく聴くアルバム、Yes の「海洋地形学の物語 (Tales From Topographic Oceans) 」('74年リリース)を取り上げます。
来日公演で東京に滞在していた時、ジョン・アンダーソンが、ホテルの自室で読んだヒンドゥー教の経典 (パラマハンサ・ヨガナンダ著「あるヨギの自叙伝」(森北出版))からヒントを得て、ツアー中にスティーヴ・ハウとの共同作業で構想をまとめたといわれています。その歌詞は難解極まりなく、且つ曲も LP 2 枚組で 4曲(つまり片面1曲 x 4)というとんでもない構成です。
「こわれもの」「危機」というロックの、否、音楽の金字塔とでも言うべき大ヒットアルバムで飛ぶ鳥も落とす勢いだった彼らだからこそ製作、リリースに至った訳ですが、発表当時は「ジョン・アンダーソンとスティーブ・ハウの暴走」「無駄に長い」「誰も止める奴は居なかったのか」「削りようはあった筈」「1曲目と4曲目だけでよい」と、散々で、なかなか正当な評価が得られませんでした。
実際にはこれだけ長い時間の中にはそれなりにふんだんにいろんなアイデアが詰め込まれているのですから、珠玉のフレーズは各所に散りばめられており、例えば
1曲目 The Revealing Science of God の中盤の歌 (歌詞:The move fast, they tell me, But I just can't believe they really mean to... ) とギターのハーモニクス、メロトロンが醸し出す世界(この辺は、あたかも海の底から揺らぐ陽の光を見上げるような感じ)、一転して激しくなる後半のシンセソロ(Mini Moog)、
3曲目 The Ancient Giants Under the Sun 後半のアコースティックギター、ボリュームコントロールを利かせた繊細なシンセストリングス、
4曲目 The Ritual Nous Sommes Du Soleil ラストの素朴な歌とピアノ(故郷の空のもと、微風に吹かれて佇んでいるような感じ) etc. 聴きどころ満載です。
近年、リマスターCDの再発等で本作への再評価は高まっており、各所で「聴き手も成長する」という意味合いの見解を聞くことも多くなりました。
それだけでなく、本作に不満を示し、ついには脱退したキーボーディストのリック・ウェイクマン(ライブ中に手が空いた時間にカレーを食べていたという噂もあった)ですら、再加入後のライブで「当時より上手く弾けるようになった」と、曲への愛情が芽生えたともとれる発言をしています。聴き手だけではなく、「弾き手も成長する」のですね。
私は東海道新幹線で浜松から新横浜まで移動するときに、これをよく iPod で聴いています。
4曲目が終わる頃には、心も穏やかになっております。
1曲目前半:
1曲目後半:
2曲目前半:
2曲目後半:
3曲目前半:
3曲目後半:
4曲目前半:
4曲目後半:
タグ:YES
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