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被災地へ  〜 傷だらけの東北 〜 [Life]

5/3 〜 5 の 3日間、被災地支援ボランティア活動のため宮城県へ行ってきました。
長文で恐れ入りますが、これから何か行動される方の参考になれば幸いです。


ゴールデンウイークとはいえ、被災された方々や、この瞬間にも命を削って原発事故と闘う方々を思うと、とても遊びに出かける気にはなれず、微力でも何か出来ないものかと考えました。

アポ無しで飛び込みだと迷惑をかける恐れがあるので、ネットで見つけた「RQ市民災害救援センター」 にボランティア支援希望で登録したところ、上記期間での参加要請をメールで受け、装備と食料を詰めたザックを背負って出かけました。

5/2(月)
新幹線は少し前に全線回復しており、浜松から東京、仙台までは順調でしたが、東北新幹線の車窓からは埼玉、福島、宮城と、徐々に瓦屋根を覆うブルーシートが多く見られるようになり、緊張感も高まります。
仙台駅前は所々で波打つ歩道や閉まったままの店舗もあり、傷跡は散見されたものの、活気を取り戻しつつあり少し安堵しました。駅舎にはボランティアの相談所もあり、受け入れ態勢を整えていました。杜の都というだけあって、美しい街並。
地元編集の「仙台学」という雑誌が至る所で売られており、文化水準の高さも伺えます。 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-176872-storytopic-6.html
『仙台学vol・11 東日本大震災』を購入し、駅前のホテルに前泊。

5/3(火)
6:30の高速バス(宮城交通)で仙台から登米市役所まで移動するも渋滞のため到着が遅れ、登米ボランティアセンター(以下VC)から2kmの飯土井まで乗る予定だったバスは既に出た後でした。2時間待つのも勿体ないので他の方とタクシーに相乗りし、9:30 登米VCのある旧増淵小学校に到着。

体育館は支援物資とボランティアのテントと荷物でいっぱいでした。全国から集まる支援、そしてここに集まった方々は皆、高い意識を持って参加されていることを感じました。
さらにここで山の匂いが引き合わせたのか、慶大ワンダーフォーゲル部出身の Tくんと知り合い、以後、行動を共にすることになりました。現在、東京大学大学院で地球外に生命体が存在することを証明するための物質の研究をされているそうで、頭脳明晰で行動力もある好青年です。

受付、ガイダンス、そしてトラックから廃材を降ろす作業を済ませた後、被災者の方々に音楽を届けるために来られた「トミー・ピアニカ’ズ・ドリーム」さんの演奏を聴かせて頂きました。
※映像は2008年のもので編成が異なります。


鍵盤ハーモニカ、フルート、ピアノ、カホンによる絶妙なアンサンブル。
リーダーの Tommy CHO さんは阪神淡路大震災で被災されたとき、東北の漁師さんが漁船で支援物資を積んで駆けつけて下さったおかげで助かったそうです。そのご恩返しのために被災地を訪れ、コンサートを行うと共に全国から集めた不要になった鍵盤ハーモニカを寄贈されています。
Tommyさんのブログ:http://tommycho.blog85.fc2.com/blog-entry-112.html

このあと、昼食。リゾットを頂きました。
着くなり音楽に食事と「貰うばかり」で些か戸惑っていると、被災現場により近いVCの一つである歌津VCへの参加募集が掛かり、即志願。時間があったので、千葉から来られた「なおさん」「ばくちゃん」の車に乗せて頂き、食料や装備の買い足しをして備えました。

いよいよ最前線です。歌津VCに向けて「へんべえさん」車で出発。和気藹々とした空気も、津波の傷跡が生々しい風景で一変。海岸から遠く離れた山奥まで押し寄せた津波の破壊力に、皆言葉を失います。
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#3/29に地元の方がアップされた歌津地区の映像:



15:20着。
歌津VCは4/16に開設され、伊里前地区で元禄時代から400年以上受け継がれている自主防衛組織「結(ゆい)」と連携して支援活動を行っており、現在は国連より支援物資倉庫用に提供された白い巨大テントを拠点としています。
場所や作業内容から、ここを希望して来る方々の多くはアウトドアに覚えが有り、ライフラインが無い状況でも気持ちに余裕を持って過ごされているようです。

この日は私達は着いたばかりで大きな活動はしませんでしたが、昼間に活動した方々が回収した漂着物の仕分けを行いました。

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写真、フィルム、アルバム、賞状からカルテまで、大事な品々を分類してビニールで包み、通し番号を記して自治体へお届けします。

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食事は事前に申請しておくとご飯と汁物は頂けるのですが、持参したものとカップ麺(韓国からの支援物資。キムチ味でかなり辛いが、これでも一番マイルドな味らしい)で済ませました。やはり一番楽しいひと時です。

19時よりミーティング。事前に地元の方とVCの代表者と打ち合わせてニーズと支援をマッチングさせてあり、これに対して翌日の人員をアサインします。私は田表(たもて)地区に行く事になりました。

21:30消灯。ザコ寝で大人しく眠りにつくも、まるで山のように寒く、中には寝袋を借りて2重にする方もあり。私はダウンを着てダウンの寝袋で何とかしのげましたが、深夜に豪雨の音で目を覚まし、そのままぼんやりとしていました。

ふと、聞こえてきたのは女性の嗚咽...

日中や夕食時は皆明るく振る舞っていたものの、身内や友人に何かあったり、被災地の惨状を目の当たりにしたら平気で居られる訳はありません。ボランティアのテントでさえこうなのに、況や避難所の夜を想うと、胸が締め付けられます。日中は涙を堪えて、気丈に過ごしているのか。

...皆、傷付いている。

5/4(水)
6時起床、食事を済ませて7:30よりミーティング、
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9:00に今日の作業現場の田表地区へ移動。民家、工場は流され、田畑や山の斜面に瓦礫や生活に関わるあらゆるものが散乱しています。私達は漂着物を集めると共に、重機の入れない山の斜面の薮に分け入って瓦礫やゴミを平地まで降ろしました。途中、マムシが出たり(血清を打たないと命を落とす)、家の一部であったと思しき釘の出た角材(別の地区で踏み抜き事故あり)が無数にあったりと、油断禁物です。

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漁船の前にご夫婦で並んで記念撮影したと思われるスライド。持ち主がご無事で、そして思い出の品が届くことを願いつつ...
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そして、ほぼ無傷で見つかった結婚記念のアルバム。
「これは何としてもお届けしなくては!」皆も大いに励みに感じている様子で、撤去作業にも力が入ります。尚、後で判明したのですがこのアルバムの持ち主は、なんとこちらのVC代表とやりとりをされている自警団の方、ご本人(!)でした。30年前の写真とのことで、大変照れくさがっていらしたそうです。

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まったく奇跡のようです。


夕食時、とある方々から急な炊き出しの打診がありました。中学校での炊き出しの残りを持って来て下さったのです。
ただ、本来の食事を担当していたメンバーには、辛いことでした。善意とは判っていても、自分の精魂込めた仕事がないがしろにされたように感じる場面もある訳です。
今回のことは詳しくは書きませんが、炊き出しをする側、受け入れる側、それぞれの気持ちに波風が経ちかねない出来事でした。
尚、これは多くの避難所で似たような問題が起こっているそうで、どうか今後炊き出しをして下さる際には数日前に時間と量を打診して頂きたいところです。


5/5(木)
昨夜は結露で天井から水滴が大量に降り注ぎ、直撃を食らった方はかなり参っていました。

この日の午前の作業は伊里前保育所の斜面の瓦礫、ゴミの撤去、漂着物の回収です。
更に皆で力を合わせて倒れた柵をグランド側に引き上げたり、側溝をさらったりと、やることはいくらでもあります。
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重機の入れない斜面は、人の手できれいになりました。平地は重機に任せます。

午後は山の神という地区へ。薮の斜面のゴミの撤去を行いました。薮に分け入って細かいゴミは土嚢袋に集め、更に木にひっかかった電柱(!)、衣類、漁船の旗等を降ろしたり、結構危険も伴う作業をしました。山の魂に火が点いたのか、登山やロッククライミング等の技術がある面々は大活躍でした。

この日は私も含め歌津VCを去るメンバーが多く、15時までに作業を切り上げ、VCに徒歩で帰りました。
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歌津駅付近は今も尚、瓦礫がほぼそのままです。

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気仙沼線、歌津駅。線路が寸断されている地域もあるので全線復旧までにはどれくらいかかるか判りませんが、いつの日か、旅行で訪れたいです。

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去り際、総務のみやもさんと握手、そして責任者の十姫さんは仰いました。
「皆さん、帰ったら、ここでの事を広くお伝え下さい」

そして登米に戻る私達のバスに、残った方々は手を振って見送ってくれました。

被災地の為に何かしたい、そんな想いで駆けつけた人達。

本当に皆、イカした仲間達です。


仙台へ戻り、仲良くなったメンバー8人で牛タンを食べました。
今日中に浜松には帰れない私は仙台で一泊することにして、高速バスで帰るメンバーを見送りました。



5/6(木)
帰路につく前に、せっかくなので、松島へ。仙石線は東塩竈から代行バスですが、なんとか乗れました。

松島は水族館も再開しております。フェリーに乗って約1時間の周遊コースへ。曇り空でしたが、特徴的な島々の景色を堪能出来ました。
カモメって、こんなに船の近くまで来て飛ぶんですね。
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今回感じた、「傷だらけの東北」。

しかし、ダウンを喫したものの、また立ち上がろうとするボクサーのよう。
その心意気に、むしろ私達が力を貰った気がします。

長い戦いはまだ始まったばかりです。

支援活動を続けましょう。それぞれのやり方で。一人の力は僅かですが、ゼロではありません。ゼロではない力が集まれば、それはやがて大きな力にも成り得ます。
ボランティアは長期の休暇でないとなかなか難しいですが、支援にはいろんな方法があります。これからも東北の農産物を食べ、旅行もして、東北に貢献しましょう!





帰りの新幹線から遠くの景色を眺めながら iPod を取り出す。
たまたま聴こえてきたのは、「人間の証明のテーマ」(ジョー山中)。




帰らざる時を想う...

自然と、涙が出てきました。



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コメント 4

moz

素敵です。
先ずは行動ですよね。何回、色んなことを言っても、先ずは行動。
じぶんも反省です・・・。
長い道のりになるんだと思います。東北の復興はイコール日本の復興です。
夜になっての嘆き・・・、本当につらいのですよね。実際に行ってみないとそれも分からないのかもしれません。
じぶんはかなり年をとっているので、皆さんの邪魔になってしまうかもしれませんが、一度は直接に何かの役に立ちたいと思います。
自然に流れた涙、すごく素敵です。
by moz (2011-05-15 15:35) 

nexus_6

mozさん、ありがとうございます。

直接現場で作業出来なくても、
いろんな方法で東北を支援出来ます。
どうか、これからも東北の農産物を買ったり、
旅行に訪れて下さい。

私もこれから出来る事をいろいろ考えてみます。
まだまだこちらが力を貰っているという感じですが...
by nexus_6 (2011-05-22 07:51) 

YUMIKO

東北にいらしたのですね。私達も同じ時期に遠刈田に行ってきました。

宮城にお金を使おう!が目的の完全な観光旅行です。横浜からの仙台行き夜行バスは仙台へ向かうボランティアの人たちでごった返していました。なんとバス4台!日本人エライって思いました。

傷ついた東北の惨状は、新聞や雑誌で見ても言葉を失いますが、実際の空気や臭いを感じると何ともいえない臨場感が伝わってくることでしょう。

実際私達も遠刈田の人たちから逆にたくさんの力をいただきました。今後も現地の人たちとの交流を続けていきたいです。
そして陸前のローカル線、復旧されたら何十年後でも絶対に乗りに行きたいんです。
by YUMIKO (2011-06-06 20:42) 

nexus_6

YUMIKOさん、コメントありがとうございます。
旅行でもボランティアでも構いません、東北へ参りましょう。
そしていつか再び、列車がそこを走る日を想いつつ...
by nexus_6 (2011-06-07 23:44) 

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