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約1年振りの歌津(南三陸町) [Life]

久しぶりの更新です。何とか生きています。

昨年の震災後の数ヶ月間、RQ市民災害救援センター(以下RQ)での活動で何度か歌津を訪れました。ボランティア活動は撤去作業や物資支援、写真洗浄等が主でしたが、音楽で何か出来ないかと思い、10月にサウーヂで大崎と遠刈田を訪問してサンバのパフォーマンスを行ったのは前にも書いた通りです。
http://orfeu.blog.so-net.ne.jp/2011-10-26

そして「いつか歌津でサンバが出来ないか」という思いがあり、7/13に有休をとり、今の歌津の状況を知るために訪問しました。
#雨が降ったり止んだりで写真があまり撮れておらず、判り辛くて申し訳ございません。

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海辺はなおも廃墟が広がりますが...

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仮設の商店街も開店し、人の動きが感じられます。ここで買いそびれていた軍手を買いました。
伊里前福幸商店街:http://minamisanriku-mall.com/reported/index.cgi

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簡易ステージもあり。ちょっとしたライブなんかも出来そう。

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咲きかけの桔梗が一輪。心を和ませてくれます。

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現在不通の気仙沼線。判り難いですが、作業員の方々が測量をしていました。線路を取払い、バス路線を作る計画があるそうです。

写真を撮りそびれましたが、まず「魚竜の湯」についてです。

東日本大震災発生後、南三陸町歌津地区にある歌津中学校は避難所となりました。その20日後の3月31日、自衛隊や地域の皆様、ボランティア団体で協力し合い、仮設共同浴場として誕生したのが「魚竜の湯」です。
RQ歌津のボラセンメンバーは皆、ここでお風呂のお世話になった筈です。

歌津中学校の避難所閉鎖に伴い一度は閉鎖した魚竜の湯ですが、地域のコミュニティーとしての役割が期待されていただけに惜しむ声も多く、代表のテッペイさんが再開に向けて NPO法人を立ち上げるべく活動中です。
今回は山学校を途中で抜け出して(思ったより遠くて、汗だくになった...)直接お会いして、年会費1万円を支払って会員の申し込みをして来ました。
サンバについても、イベント企画等はここでは行っていないが場所を提供するのはやぶさかでないとのことでした。

魚竜の湯の詳細につきましては、下記をご覧下さい。もしご賛同頂ける方はご支援をお願い致します。

魚竜の湯:http://thermae-utatsus.com/index.html







さて、「てんぐの山学校」について。RQ歌津センターの流れを汲み、八幡明彦さん(通称:スパイダー)が主催するヤマ学校です。サバイバル・キャンプ、手作りのお祭り復元、ヤナギや杉を使った建物づくり、台風で被災した遊び場の橋や道の復旧作業、山の幸の感謝祭、焚き火でのケーキ・縄文土器・燻製づくり、化石掘りや石器ごっこ等、地元児童対象の活動を続けています。
今回はここでサバイバルキャンプの準備等のお手伝いをさせて頂きました。

てんぐの山学校:http://utatsu.blogspot.jp/




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活動拠点の「さえずりの谷」です。その名の通り、ウグイスのさえずりが響きます。毎週末に親子で訪れる一家もあり、野趣溢れるところです。

7/14は午前は準備、午後は参加者として各所を一緒に訪問しました。

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RQ跡地横に建つ白テント商店街。

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前出の伊里前福幸商店街に移転されたお店もあり、今では少し空きスペースもありますが、コミュニティとしての存在意義は大きいです。

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写真では判り難いですが、床屋さんは営業中。予約制ですが、多くの方々が訪れるそうです。

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スパイダーさんの事務所。

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朝日新聞の記事。読み難くて済みません。

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手作りのお祭り復元の成果の一つ、お神輿です。棚を作るための木のパーツを組み合わせて作ったそうで、アイデアの勝利ですね。


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これは歌津中学校の校舎です。各学年の薪置き場の張り紙がご覧頂けますでしょうか。なんと、薪割りの訓練(!)が行われています。これから数十年後か明日か判りませんが、再び津波が襲来したときに備えているのです。次の世代のために出来る事を続けていく、その姿勢に感服させられました。

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草刈りのボランティアの方々。まだまだこういう活動は続いています。

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地域によっては、まだ撤去されていない瓦礫や自動車も残されています。

この日の夜は「被災してここへ着の身着のままで辿り着いた」という想定で、生木を集めて焚き火で暖をとり、廃材等、有るもので竃を作って湯を湧かし、拾った海藻を食べたりしました。また、漁師の小野寺さんに避難所での出来事等、貴重なお話を聴かせて頂きました。

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さえずりの谷での活動の写真が無く、済みません。
写真は7/15の朝食(木苺、桑の実、ぐみ)です。非常用ビスケットに乗せて皆で食べました。

午後から現地の子供達も参加予定で心残りでしたが、遠隔地ゆえ、私はこの日の朝には引き上げさせて頂きました。状況が詳しく伝えられず、済みません。

ともあれ、昨年のように太鼓の音さえ憚られるという空気ではなくなっているのは確かだと感じました。また今回はテッペイさんとスパイダーさん、やり方は違えど共にそれまでの生活拠点を捨ててこの歌津に身を投じたお二人に会えてお話出来たことは収穫でした。我々がサンバ演奏出来るような具体的なイベントについて考えるのはもう少し時間が要りそうですが(伊里前三嶋神社のお祭りは既に3月に開催済み)、今後も歌津のことを考えていきたいと考えております。

まとまりが無いですが、この辺で。

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被災地へ  〜 傷だらけの東北 〜 [Life]

5/3 〜 5 の 3日間、被災地支援ボランティア活動のため宮城県へ行ってきました。
長文で恐れ入りますが、これから何か行動される方の参考になれば幸いです。


ゴールデンウイークとはいえ、被災された方々や、この瞬間にも命を削って原発事故と闘う方々を思うと、とても遊びに出かける気にはなれず、微力でも何か出来ないものかと考えました。

アポ無しで飛び込みだと迷惑をかける恐れがあるので、ネットで見つけた「RQ市民災害救援センター」 にボランティア支援希望で登録したところ、上記期間での参加要請をメールで受け、装備と食料を詰めたザックを背負って出かけました。

5/2(月)
新幹線は少し前に全線回復しており、浜松から東京、仙台までは順調でしたが、東北新幹線の車窓からは埼玉、福島、宮城と、徐々に瓦屋根を覆うブルーシートが多く見られるようになり、緊張感も高まります。
仙台駅前は所々で波打つ歩道や閉まったままの店舗もあり、傷跡は散見されたものの、活気を取り戻しつつあり少し安堵しました。駅舎にはボランティアの相談所もあり、受け入れ態勢を整えていました。杜の都というだけあって、美しい街並。
地元編集の「仙台学」という雑誌が至る所で売られており、文化水準の高さも伺えます。 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-176872-storytopic-6.html
『仙台学vol・11 東日本大震災』を購入し、駅前のホテルに前泊。

5/3(火)
6:30の高速バス(宮城交通)で仙台から登米市役所まで移動するも渋滞のため到着が遅れ、登米ボランティアセンター(以下VC)から2kmの飯土井まで乗る予定だったバスは既に出た後でした。2時間待つのも勿体ないので他の方とタクシーに相乗りし、9:30 登米VCのある旧増淵小学校に到着。

体育館は支援物資とボランティアのテントと荷物でいっぱいでした。全国から集まる支援、そしてここに集まった方々は皆、高い意識を持って参加されていることを感じました。
さらにここで山の匂いが引き合わせたのか、慶大ワンダーフォーゲル部出身の Tくんと知り合い、以後、行動を共にすることになりました。現在、東京大学大学院で地球外に生命体が存在することを証明するための物質の研究をされているそうで、頭脳明晰で行動力もある好青年です。

受付、ガイダンス、そしてトラックから廃材を降ろす作業を済ませた後、被災者の方々に音楽を届けるために来られた「トミー・ピアニカ’ズ・ドリーム」さんの演奏を聴かせて頂きました。
※映像は2008年のもので編成が異なります。


鍵盤ハーモニカ、フルート、ピアノ、カホンによる絶妙なアンサンブル。
リーダーの Tommy CHO さんは阪神淡路大震災で被災されたとき、東北の漁師さんが漁船で支援物資を積んで駆けつけて下さったおかげで助かったそうです。そのご恩返しのために被災地を訪れ、コンサートを行うと共に全国から集めた不要になった鍵盤ハーモニカを寄贈されています。
Tommyさんのブログ:http://tommycho.blog85.fc2.com/blog-entry-112.html

このあと、昼食。リゾットを頂きました。
着くなり音楽に食事と「貰うばかり」で些か戸惑っていると、被災現場により近いVCの一つである歌津VCへの参加募集が掛かり、即志願。時間があったので、千葉から来られた「なおさん」「ばくちゃん」の車に乗せて頂き、食料や装備の買い足しをして備えました。

いよいよ最前線です。歌津VCに向けて「へんべえさん」車で出発。和気藹々とした空気も、津波の傷跡が生々しい風景で一変。海岸から遠く離れた山奥まで押し寄せた津波の破壊力に、皆言葉を失います。
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#3/29に地元の方がアップされた歌津地区の映像:



15:20着。
歌津VCは4/16に開設され、伊里前地区で元禄時代から400年以上受け継がれている自主防衛組織「結(ゆい)」と連携して支援活動を行っており、現在は国連より支援物資倉庫用に提供された白い巨大テントを拠点としています。
場所や作業内容から、ここを希望して来る方々の多くはアウトドアに覚えが有り、ライフラインが無い状況でも気持ちに余裕を持って過ごされているようです。

この日は私達は着いたばかりで大きな活動はしませんでしたが、昼間に活動した方々が回収した漂着物の仕分けを行いました。

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写真、フィルム、アルバム、賞状からカルテまで、大事な品々を分類してビニールで包み、通し番号を記して自治体へお届けします。

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食事は事前に申請しておくとご飯と汁物は頂けるのですが、持参したものとカップ麺(韓国からの支援物資。キムチ味でかなり辛いが、これでも一番マイルドな味らしい)で済ませました。やはり一番楽しいひと時です。

19時よりミーティング。事前に地元の方とVCの代表者と打ち合わせてニーズと支援をマッチングさせてあり、これに対して翌日の人員をアサインします。私は田表(たもて)地区に行く事になりました。

21:30消灯。ザコ寝で大人しく眠りにつくも、まるで山のように寒く、中には寝袋を借りて2重にする方もあり。私はダウンを着てダウンの寝袋で何とかしのげましたが、深夜に豪雨の音で目を覚まし、そのままぼんやりとしていました。

ふと、聞こえてきたのは女性の嗚咽...

日中や夕食時は皆明るく振る舞っていたものの、身内や友人に何かあったり、被災地の惨状を目の当たりにしたら平気で居られる訳はありません。ボランティアのテントでさえこうなのに、況や避難所の夜を想うと、胸が締め付けられます。日中は涙を堪えて、気丈に過ごしているのか。

...皆、傷付いている。

5/4(水)
6時起床、食事を済ませて7:30よりミーティング、
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9:00に今日の作業現場の田表地区へ移動。民家、工場は流され、田畑や山の斜面に瓦礫や生活に関わるあらゆるものが散乱しています。私達は漂着物を集めると共に、重機の入れない山の斜面の薮に分け入って瓦礫やゴミを平地まで降ろしました。途中、マムシが出たり(血清を打たないと命を落とす)、家の一部であったと思しき釘の出た角材(別の地区で踏み抜き事故あり)が無数にあったりと、油断禁物です。

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漁船の前にご夫婦で並んで記念撮影したと思われるスライド。持ち主がご無事で、そして思い出の品が届くことを願いつつ...
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そして、ほぼ無傷で見つかった結婚記念のアルバム。
「これは何としてもお届けしなくては!」皆も大いに励みに感じている様子で、撤去作業にも力が入ります。尚、後で判明したのですがこのアルバムの持ち主は、なんとこちらのVC代表とやりとりをされている自警団の方、ご本人(!)でした。30年前の写真とのことで、大変照れくさがっていらしたそうです。

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まったく奇跡のようです。


夕食時、とある方々から急な炊き出しの打診がありました。中学校での炊き出しの残りを持って来て下さったのです。
ただ、本来の食事を担当していたメンバーには、辛いことでした。善意とは判っていても、自分の精魂込めた仕事がないがしろにされたように感じる場面もある訳です。
今回のことは詳しくは書きませんが、炊き出しをする側、受け入れる側、それぞれの気持ちに波風が経ちかねない出来事でした。
尚、これは多くの避難所で似たような問題が起こっているそうで、どうか今後炊き出しをして下さる際には数日前に時間と量を打診して頂きたいところです。


5/5(木)
昨夜は結露で天井から水滴が大量に降り注ぎ、直撃を食らった方はかなり参っていました。

この日の午前の作業は伊里前保育所の斜面の瓦礫、ゴミの撤去、漂着物の回収です。
更に皆で力を合わせて倒れた柵をグランド側に引き上げたり、側溝をさらったりと、やることはいくらでもあります。
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重機の入れない斜面は、人の手できれいになりました。平地は重機に任せます。

午後は山の神という地区へ。薮の斜面のゴミの撤去を行いました。薮に分け入って細かいゴミは土嚢袋に集め、更に木にひっかかった電柱(!)、衣類、漁船の旗等を降ろしたり、結構危険も伴う作業をしました。山の魂に火が点いたのか、登山やロッククライミング等の技術がある面々は大活躍でした。

この日は私も含め歌津VCを去るメンバーが多く、15時までに作業を切り上げ、VCに徒歩で帰りました。
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歌津駅付近は今も尚、瓦礫がほぼそのままです。

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気仙沼線、歌津駅。線路が寸断されている地域もあるので全線復旧までにはどれくらいかかるか判りませんが、いつの日か、旅行で訪れたいです。

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去り際、総務のみやもさんと握手、そして責任者の十姫さんは仰いました。
「皆さん、帰ったら、ここでの事を広くお伝え下さい」

そして登米に戻る私達のバスに、残った方々は手を振って見送ってくれました。

被災地の為に何かしたい、そんな想いで駆けつけた人達。

本当に皆、イカした仲間達です。


仙台へ戻り、仲良くなったメンバー8人で牛タンを食べました。
今日中に浜松には帰れない私は仙台で一泊することにして、高速バスで帰るメンバーを見送りました。



5/6(木)
帰路につく前に、せっかくなので、松島へ。仙石線は東塩竈から代行バスですが、なんとか乗れました。

松島は水族館も再開しております。フェリーに乗って約1時間の周遊コースへ。曇り空でしたが、特徴的な島々の景色を堪能出来ました。
カモメって、こんなに船の近くまで来て飛ぶんですね。
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今回感じた、「傷だらけの東北」。

しかし、ダウンを喫したものの、また立ち上がろうとするボクサーのよう。
その心意気に、むしろ私達が力を貰った気がします。

長い戦いはまだ始まったばかりです。

支援活動を続けましょう。それぞれのやり方で。一人の力は僅かですが、ゼロではありません。ゼロではない力が集まれば、それはやがて大きな力にも成り得ます。
ボランティアは長期の休暇でないとなかなか難しいですが、支援にはいろんな方法があります。これからも東北の農産物を食べ、旅行もして、東北に貢献しましょう!





帰りの新幹線から遠くの景色を眺めながら iPod を取り出す。
たまたま聴こえてきたのは、「人間の証明のテーマ」(ジョー山中)。




帰らざる時を想う...

自然と、涙が出てきました。



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脱原発への転機となるか [Life]

何をどう書いたらよいのか判らず、未整理且つ辛辣な書き方で済みません。

私だけではないと思いますが、3/11以来、被災地のことが頭から離れません。被災された方々、救援活動をされている方々、そして今この瞬間にも原発の危機に立ち向かわれている方々のことを思うと、何と言葉にすればよいのか判りません。何も出来ないことが歯がゆく、逆に被災された方々の「自分よりもっと厳しく辛い状況の方々が居る」という気丈な言葉に力を貰っている有様です。

戦後最大の国難ともいうべき状況を目の当たりにして、私達は誰一人として目を背けてはなりません。今回の尊い犠牲は取り戻せませんが、未来の為に変革すること、価値観を変える機会を与えられたと受け止めます。そう思わないと、まったくやりきれません。

直撃を免れた地域の者としては、日々働き税金を収め、浪費を控え、そして可能な範囲で義援金や物資を送るしかありません。そして、国全体の力を被災地へ注がなくてはならない現在、新たな被災地、被災者を出さないようにするにはどうすれば良いかを考える必要があります。

いつ起こるとも知れない巨大地震と津波による未曾有の天災。自然の力を前に人間の力は余りにも小さく、避けることは出来ませんが、被害を最小限にするためにはどうすればよいか。その大きな課題の一つが二次災害、人災を避けること、つまり原発事故を避けることです。完全に放射性物質をコントロールする科学力を持たない限り、最終的には脱原発しかありません。

昨年までの日常は、どうだったでしょう?
夏は40度に迫る日でも、カーディガンを羽織らないと過ごせないほど冷えたオフィス。
冬は氷点下の日でも、半袖でないと汗ばむような店舗。
深夜に煌々と輝くネオン街、数十メートル毎に乱立するコンビニエンスストアー。

こんなことはどう考えてもおかしい、と思いながら、そのままにして来ました。
まるで浪費が繁栄の証しであるかのように。
ともすれば、途方も無い代償を支払うことになると知りながら。

今回の事故で責められるべきは安全への配慮を怠った東京電力だけではありません。危険性に目を閉じてきた原発関連企業、そして国策として原発を推進してきた政府、そしてそれを許してきた私達国民です。

チェルノブイリの事故の翌年、発売中止の憂き目にあったタイマーズの Summer Time Blues、Love Me Tender の歌詞が、今更ながら重く響きます。



すまん、キヨシロー。あなたの警告を封じ込めようとしたこの国は、ついにこんなことになってしまった。


今年の夏は電力供給不足が決定的と言われていますが、
原発が無くても暮らして行けるところまで生活水準が下がったとしても、安全が一番だ
ということを示せるか否か、今、国民の意識が問われています。

浪費を控えるのは勿論ですが、特に夏は医療目的以外のクーラーは控えましょう。
昨年の夏は記録的猛暑と言われましたが、私は自宅のクーラーは一度も使わずに過ごしました。やせ我慢ではなく「クーラー無しでは過ごせないようにはなりたくない」「身体にもよくない」という理由だったのですが、ともあれ、やれないことではありません。

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ふと、映画「ゴジラ」('54) のラストでの山根博士(志村喬)の台詞を思い出しました。

「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかも知れない」


福島第一原発の事故が例外だとは思えない。 もし、原子力発電が続けて行われるとしたら、 また世界のどこかで悲惨な事故が繰り返されるかも知れない。

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敗戦後の焼け跡からの復興は、今のおじいちゃんおばあちゃん方が一生懸命頑張ったからです。私達は繁栄を享受しましたが、自分達ばかりかこれからの世代にまで被曝の危機に晒すことになってしまいました。ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸の悲劇を知っていながら、何故日本は原発を推進するのか、外国から見ると不思議でしょうがないでしょう。
こうなった以上、現地の方々には申し訳無いですが、こう言わざる得ないです。

ノーモア フクシマ。

脱原発が実現出来るか否かは、私達次第です。

タグ:地震 原発
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余命宣告乗り越えたい 「余命ゼロ日」後のライブを企画 [Life]



「余命1年」と、医師から告げられた女性が、「余命ゼロ日」の後にライブを企画している。目指すステージは6月11日。「生きている限り、やりたいことが出てくる。余命宣告のその日を越えて生きる」。女性のネットでの書き込みに共感した人たちが、運営や共演を申し出るなど支援の輪が広がっている。

 ライブを企画しているのは東京都清瀬市の小林由佳さん(26)。先天性胆道閉鎖症で、現在は肝臓に加え、肺の機能も低下。肺が肝臓移植手術に耐えられる状態ではなく、昨年6月4日に「余命1年」を告げられた。

 歌手にあこがれて20歳の時、奈良から上京。働きながら音楽スクールへ通い、昨年2月に自費制作ながら初めてCDアルバムを全国発売。「これから」と意気込んだ矢先の5月に倒れた。何も手につかず、家にこもった。「吹っ切れた」のは、11月下旬に入院した時。「肺に効くかもしれない薬がある」と言われ期待したが、薬が合わず、結局、投与できなかった。

 限られた「残り半年」の時間。「やれる最大限のことをしたい」と気持ちを切り替えた。歌を大勢の人に聴いてもらいたいとライブを思い立ち、ネットの日記に書いたところ、読んだ人たちから運営の手伝いや共演などの申し出が相次いだ。そして6月11日、東京都西東京市のホールでのライブが決まった。

 プロレスラーのミスター・ポーゴ=本名・関川哲夫=さん(58)は、友人からこの話を聞いた。キャリア30年以上の悪役レスラーで、米国でも活躍した。腰やひざを痛め、引退を考え始めていたが、「おれは何を甘えていたんだ」。勇気づけられ、トレーニングを再開した。友人やファンにも応援を呼びかけている。
(以上記事より抜粋)



明日をも知れない命。でも、やるべきことがある。

「どれだけ生きる」ではなく、その一瞬一瞬を「どう生きる」か。

言い訳を並べて諦めそうになったら、彼女の生き方を思い出そう。


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